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学歴。

2012.12.29(Sat)

自分は高卒1年目に、お試し的な感じで一時期だけ映像授業の予備校に通っていました。
その時に見た授業のビデオで、代ゼミ講師の畠山創先生がこんなことを言っていた。

「あのね、僕が受験生時代に使っていた赤本はね、涙でボロボロで、
開くとペラペラってなるんですね。あのね、これ差別じゃないよ。差別じゃないんだけどね、」
そう言った後、難関大学出身の政治に携わる人達のリストを黒板に張って、
「○○さんが東京大学、○○さんが早稲田大学、○○さんが中央大学..」と読み上げていった。
そして読み上げた後に、「この人達は皆、本当に色々なものを犠牲にしている人達なんですね。
犠牲の無い努力なんて無いんです。」みたいなことを話していた。

確かに受験勉強は色々な犠牲を払うものではあるし、辛く苦しいものでもあるんだろうけれど、
中学や高校を出た後に働いているような人達だって、それに見合う努力、
下手したらそれ以上の努力をしているだろうし、「学歴」というようなたまたま成果の見えるものだけで
そういうことを言うのは何か違うのでは?と感じた。

また時折話される、畠山先生の子供~中高時代の話を聞いていると、
中学時代は生徒会長をやったり、高校時代にはバンドもやったり彼女も居たり、
まさに青春というような時代を謳歌していて、理解されにくい問題を抱え、
辛い成長期を歩んできた自分にとっては、その話を聞いていて凄く羨ましく感じた。

受験勉強の苦労や苦しみ、辛さの積み重ねは、結果として一応「学歴」という形で目に見える。
だから「東大」だったり「早稲田」だったり「中央」だったりで証明することが出来る。
でも、成長期を辛い状態で過ごした人たちの苦労や努力は目に見えない。だから証明できない。
だから、「辛いのは皆同じだろう」「言い訳にするな」なんて言われたりする。

畠山先生は人間的にもとても素晴らしい人だと思うし、理想だなあと感じる人柄ではあるけれど、
なんか腑に落ちなかった。でもまあ予備校講師という職業上、仕方のないことなのかもしれないけれどね。
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プロフィール

Author:ヨウ
男子大学生(2017年9月、ついに卒業。)

成長期は事情により、会話嫌いな状態でした。小学校入学から高校卒業まで、人前で全く声を発しない状態で過ごしました。現在も後遺症と闘っています。

明日はきっと俺の空。
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